森下さん田んぼ
森下克人さん
       森下 克人さん


和知地図


越川さん
    森下さんの夢を支える農業の師
       越川 尚男さん


森下さん田んぼにて



京都府京丹波町森下 克人(もりした かつひと)さん(49歳)


先日、愛知県大府市で長年サラリーマンとして働いていた不動産業を辞め、「農家になりたい!!」と家族5人で京都の和知という縁もゆかりもない土地に移住してしまった なんとも豪快な人 「森下さん」に会ってきました。

森下克人さんは新規就農者にしてはちょっと珍しい40代。京丹波町の和知地域という場所で農家を始めて今年で3年です。
農家の大先輩である農民連京都産直センター副代表の越川尚男さん(65才)との出会いや、様々な人との縁のおかげでなんとか先が見えるようになったものの、ここまで来るには無謀というか大胆というか、なんともハラハラもののドラマのような道のりを歩んできた人です。

その紆余曲折街道も相当おもしろいのですが、森下さんの人柄がまたものすごくおもしろい。苦労を苦労と思わせない彼の語りに、一気に魅了されてしまいました。

今、森下さんが住んでおられる「和知」という場所は、リレーエッセイでお馴染みの私の母の里「美山町」から車で15分ほどのところ。そう、ものすご〜く不便でなーんにもない山里なのです。
なので 「よりにもよって、なぜ和知に?」というところから話はスタートしました。

森下さんは
「農業をやろう!! 移住するぞ!!」
と決めたものの当てがある訳でなく、農家の知り合いもなく、まずは場所探しからスタート。
テレビでよくやっている 「農家に転身し、のんびりとした田舎暮らし」 という夢のような美しいイメージを頭に描き、
「どこかによさそうな農地と家はないもんか」
とネットで調べてみたところ、高知、愛媛 和歌山あたりに「移住して農業しませんか? 2年間の研修つき」というのを見つけたのです。
「お、けっこうあるじゃん」
と気をよくしたものの、よく考えてみると、移住するまでには引っ越し準備やら農業の手続きやらと日参せねばならない。なんたって3人の子持ち、一番下の子はまだ幼稚園の年中さん、そんな遠くまで再々通えない。
「う〜ん…もっと近場でないもんか?」
と探していると、「実践農場」というキーワードで京都府にヒット。
他の県の場合、「2年間研修させてあげます。そのあとは自分で農地を探してね」 というやりかたが一般的。ところが京都は「最初に農地を探しますよ、そして2年研修してね、農地も用意しますよ」というもの。
「お、いいじゃん!」
と思った森下さんはさっそく問合せの電話をし、相談の予約をしました。

予約をしたあとに奥さんに
「京都に行こう!!」
と報告。普通の奥さんなら「何を突然!」と怒りますが、そこは豪快な森下さんの妻、人間ができてます。
という訳で、年中さんの幼稚園児を連れ、3人で京都へ。

さて、意気揚々と相談しに来た森下さんに対して京都府の担当者は
「本当に来たんですか!? 困るんですよねぇ家族連れは…」と明らかに迷惑顔。
どうやら、家族連れの移住となると、紹介する行政側も 「失敗して家族路頭に迷いでもしたら大変」 と責任を感じるらしい。
「田舎暮らしのイメージで来られても成功しませんよ、やめたほうがいい」とか、
「だいたい相談に来られるのは身軽な独身者なんですよ。家族連れは家族全員の生活がかかってきますから失敗します」と話進まず。
ホームページで書いてることと言うことが違うじゃないか、ホイホイ紹介してくれるのかと思ってたのに「やめとけ、失敗する」のダメ出し三昧の熾烈な攻撃。
それでも「移住して農業をしたいんだ!!、どこか場所を紹介して」と強い意志で迫ると

「う〜ん、京都も広いですし…」とのらりくらり。
結局 森下さんの「できるとしたらどこですか!?」 との粘りに
「京丹波町以北なら土地も安いし…そのあたりでどうですか」ということに。
京丹波がどこにあるのかさっぱりわからない森下さん、「丹波? わからんけど名前の響きもイメージもいい感じ」 となんとも軽い乗り。
「ではそこで物件紹介して」という運びになりました。

「母屋がひとつ、離れがひとつ、田んぼが少しに農機具つき」という物件を3件紹介してもらい、見に行くことになったのが平成22年の9月。
初めて和知の駅に降り立ったのです。

「いや〜ぁ 田舎だねぇ〜 …」
見渡す限り四方が山。
紹介された役場へ直行して「物件見にきました」と伝えると、ここでも「絶対無理です!」攻撃が始まったのです。

「サイトの中ではいかにもできそうに非常にいい感じに書いてるでしょうが、実際
成功例は少ないんです。キビシイものだとわかっておいてほしい。
農業を専業にするのは無理です。3年間収益は出ない。
その間 家族が食べていけて、農機具を買って、と考えると手持ち資金が1200万は必要ですよ。そのくらいの資金がないと、その後仕事として回っていくまでの余裕が作れませんよ」
とまたもや熾烈なダメダメやめとけ攻撃を受けたのです。
「なんだよ、テレビの話と違うじゃないか」
と思ったけど、もう仕事もやめてきてるし、移住の覚悟も意志も後には引けない。
「とにかく物件を見せて下さい」
と例の3件に連れていってもらいました。

2件はどちらもボロボロ、イメージと違う…。
ところが3件目が森下さんのイメージにぴったり。
茅葺きに鉄板を被せた昔ながらの古民家の母屋。離れはというと、一軒家並の広さ。120坪の畑がついて合計240坪。
後でわかったことだけれど、昔に旅館をしてた家だったらしく、伊能忠敬の一派が地図作りのために文化11年に泊まったんだとか。
そこから計算しても築200年以上のしろもの。宿代が払えず襖絵を描いて宿代代わりにしたという、その襖絵までまだ残っている。
不動産業界にいた森下さんには宝のような家。
「ここだ!!」
と決断し、
「いくらですか?」
と聞くと、売り主さんは
「650万や。トラクターもコンバインも米の冷蔵庫も米の乾燥機もつけとく」 との話。

ほしいけど高い!!
「500万しか払えない」 と言うと、
「それでよいわ」 ということで、晴れて平成22年の12月末に売買が成立。

ところが。
家は手に入れたが、行政の紹介で農業を新規にする、ということはなかなか簡単ではないのです。
まずは 「後見人」 を用意する必要があるらしい。
またもや行政に相談をしに行くと、
「作物は何を作るんですか?」と聞かれ
「こちらが教えてほしいくらいです。何作ったら売れますか」
「希望年収は?」
「う〜ん、まずは180万くらいかなぁ」
「農業指導者はどうなってますか?」
「指導者? いないです」
「指導者 要りますか。というか、自力でされたらどうですか?」
「…」

森下さんは40代。就農支援金を受けられる年齢はすでに越えている。金銭的援助は受けられないけど、指導研修は2年間受けられるはず。それを伝えると
「後見人と指導者、月5万でなら紹介できますよ」。
えっ!? 金取るの…!?
「そんな余裕ないですよ!」
結局、何を作れば売れるのか、何をどうすればいいのか、草刈り機の使い方さえ知らぬ森下さん、知りたいことは何もわからぬままの農業スタートとなった訳です。

ここから森下さんの奮闘が始まります。

家の売り主さんが、3反6畝の土地を心よく貸してくれ、田んぼと畑はラッキーにも手に入りました。しかし手に入れたはいいが、困ったことに田んぼの経験がない。
すると、近所の人が「自分の田んぼを手伝いながら覚えていくか?」と、教えてくれることになり、草刈り機をかけるところから田植えまでなんとか終えることができたのです。

「田植えが終わったし次は畑をやろう」
と思った森下さん。まずは野菜作りの本を買ってきた。(そこから!?)
丹波は黒豆が有名。
「そうだ、黒豆だ!!」
と、 黒豆の種を買ってきた。
本を見ながら植え替えもした。農協の講習会にも出た。 肥料もたっぷり入れた。
「よしっ! あとは大きくなるのを待つばかり」
のはずが、何故かだんだんしおれてきた。
ところがズブの素人の怖さ、
「そうか、苗って肥料をやればいったんしおれるものなんだ〜」と…。 (そんな訳ないでしょ! )
結局 肥料のやりすぎで肥料焼けし、黒豆は全滅。森下さんはここで初めて 「ぶったおれるほどの強烈なショックを受けた」らしい。

広い畑はあるものの、家庭菜園程度のものしかできないまま日は過ぎ、縁側で奥さんとお茶を飲みながら
「暇だねぇ〜…」
「景色きれいだねぇ」と言い合う日々が続いたとか。

失業保険が出ているうちは何とかなるけど、高校生、中学生、幼稚園の3人を育てあげねばならない森下さん。そこはかとない将来への不安が迫ってくる。
そんなとき、奥さんの友だちから「いい人がいるよ」と越川さんを紹介してもらうことになる。
この越川さんとの出会いが森下さんの生活を、人生を変え、夢見ていた農家に近づくことができたのだ。

越川さんは
「使ってない畑があるし貸してやる。教えてやるからやってみるか? 今からならモロッコインゲンを植えろ。30万くらいになる」
と、役場で聞いても教えてくれなかったことをすぐに教えてくれた。
そして越川さんの言う通り、ホントに30万になったのだ。

「越川さんってスゴイ!」
と思うと同時に
「オレ、農家になれるかも」
と思った瞬間だった。

9月には、役場から「ビニールハウスの骨組みをもらえるよ」と仲介してもらった 、米作りを教えてくれた人が「うちに建てなよ」と言ってくれたりで、12月にはハウスが完成。
ここでも越川さんが
「ネギを植えな」とアドバイス。
でも森下さんとしては「ハウスと言えばトマトでしょ」と、どうしてもトマトへの思いが諦めきれず、越川さんの 「トマトはやめとけ、難しい」 を聞かずに 1棟はネギ、1棟はトマトを植えた。
ところがトマトは予定の半分もできない。しかしネギは出荷も順調、いいお金になった。越川さんのいう通りだった。
結局トマトはあきらめ、家族が食っていくために2棟ともネギに切り替えた。

越川さんがさらに
「ネギを1本の柱にして、あと1本の柱は米をやりな。どんなくらいの面積をやりたいか?」
と提案してくれ、越川さんの指導のもと、苗から作って 1町1反からスタートした。
越川さんは、「あちこちに借りて点々と田んぼが散らばってたら効率悪い。地域をまとめろ」 など、いろんなアドバイスを親身になってしてくれる。

こうして始まった田んぼ今年1町7反に、来年には2町になる。

それでも経営は厳しい。
昨年はギリギリ、投資の返済で赤字になった。今年も水面スレスレという状況だ。

だんだんわかってきたことだが、新規就農者が米だけで経営を立てていくのは無理だ。
いろんな機械が必要で、その機械代が首を締める。
森下さんはラッキーにも、購入した家に機械類がついていた。乾燥機まであるから、他の人の米と混ざることがなく、冷蔵庫もあるから保管もできる。普通は、乾燥や冷蔵は農協に任せる。任せれば金がかかる。
森下さんは機械類があったおかげで自分のこだわりがそのまま米の値打ちになり、経費節減にもなったのだ。

農協は新規就農を積極的には勧めていない。機械代金が回収できないからだ。
反対に、新規に農業をしようという志を持った若者は、「指導が受けられて、経営や技術も教えてもらえ、育ててもらえる」との期待を持って農業の世界に飛び込んでくる。
そして、夢と期待と現実とのギャップに疲れ果てて去っていく。若者は独身者がほとんど、身ひとつだから去るのも早い。
だから役所も農協も地域の農家も、新規就農者になかなか親身になれないのだ。

森下さんは言う。
「役所にさんざん、 家庭があるのに農家になるのはやめとけ、 と言われて頭に来たけど、今になってみれば役所の言ったことがよくわかる。
ボクは売り主さんや越川さんはじめ、人との巡り合わせがよかったから短期で経営が成り立って来た。
でも、夢ばかり膨らませて飛び込んで来ても、夢では食べられない世界。ある程度の自己資金がないとやっていけない。」

役所の窓口が「やめとけ」と言うのは、ある意味責任なのだ。勧めたら、その人の人生を台無しにしてしまうかもしれない。その人が逃げたら地域に迷惑をかけるかもしれない。その可能性が高いから反対するのだ。
その反対を押しきるだけの強い意志があるかどうか、役所も見定める必要があるのだろう。

ではなぜ越川さんはズブの素人の森下さんに親身になれたのか、越川さんに聞いてみた。

「途中で逃げてしまう若者は多い。マルチを張ったまま逃げたら、その後始末は誰がすると思う? 村がするんや。
だから農業をするには人としての保証が要る。農がいくら好きでも事業やからな、自己資金がないとやっていけない。
森下さんはわりあい年がいってたからな。社会経験もある。家族がいるから、自分の暮らしに責任を持つだろう。生半可に逃げないやろうし、家を売って家族連れて、もう後には引けない。それだけの覚悟があるやろうし、早く自立せんとあかん。なんとか助けて身が立つようにしてやらんとアカンと思たんや。」

越川さんは、さらに
「農業でどう収益が上げられるかを常に考えてるが、地域の農家を把握して作付けを割り振りできるリーダーがいないと集落営農は成り立たない。あいつに回してやれ、あいつに○○を回せよ、と不満が出ないように采配してる集落は農地保全もできている」と集落と農の話をしてくれた。

集落にも新規就農者にも、こういう大きな目で地域全体を見ている人が必要だ。

「村は田んぼなんか、なんぼでも貸してくれる、減反だらけやからな。けど、人は田んぼを貸すときは、悪いとこ悪いとこを貸してくれるんや。機械が入りにくかったり水捌けが悪いとことかな。森下さんは、まとまったええ土地が得られた。それもうまくいった理由やろな。何より、とりがええ。」

「とりがええ」とは、この地域の言葉で、理解力が良いという意味。
この2人、なんともいい師弟関係である。

そういえば、森下さんがそもそも農業に転身したきっかけを聞いてなかったので、尋ねてみた。
「株投資でリーマンショックでこてんぱんにやられまして…
そんな時、ある講演に行って 感銘を受けたんです。地球を上から眺めるような世界観を持ち、何がそのニュースの裏側に潜んでいるのか見極めろ。人はたいてい誰かに踊らされているのだ、というような内容でして… 。
なんかそこから、人間いつか食糧事情で大きな転換期を迎えることになるのではないか、その時に作る側にいないと誰かに踊らされてしまうと思うようになり…。
以前から何となく、3大成人病の原因は農薬・添加物・石油系成分なんじゃないか、との思いがあり、この3点を避ければ老衰で死ねるかな、普通に死にたいなと。。
だから、便利な生活より少し不便な昔ながらの生活に少し戻そうと思ったんです。嫁さんも同じ考えだったんでそこはすごく助かった。だから嫁さんは転身に反対しなかったで す。」

できた嫁です…。

森下さんが
「これを乗り越えれば、これをこなせば、という思いでやってきた。振り返ると鳥肌が立つ。危ない橋ばかりよく渡ったなと。
一生懸命やってきて、村にも溶け込もうといろんな集まりにも顔を出した。でも村社会は難しい。いつまでたってもよそ者はよそ者です」の言葉に、越川さんが
「集落で将来役に立つのは、よそもの・若者・変わり者、そう言われとる。村はよそものを大事にしなあかん」
と笑っていた。

育てる側と育てられる側。その絶妙な巡り合わせが集落を育てていくのだろう。

越川さんの指導を受けて、森下さんは今や集落の人々も驚く広さの田んぼを作っている。

「田舎で農業」。
テレビの「人生の楽園」のような 優雅でゆったりとした暮らしを漠然と抱き飛び込んできた。暮らしはまだまだ厳しい。
だけど、その漠然とした夢は、今はっきりと、「来年は2反、再来年には… 」と、現実的な夢へと変わっている…。
「夢の楽園」は どこかに始めから用意されているものではない。ひとつずつ、一歩ずつ壁に当たり、よじ登り、人との巡り合わせの中で葛藤を繰り返して自分で造り上げるものなのだ。

青々とした田んぼ。広がる山々。
森下さんが目指した夢の楽園。 和知という場所で、和知の人たちに支えられながら、日々の奮闘の中で 少しずつ その楽園は形になりつつある…。

(燗記)

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