基調講演
  5ページに進みまして「田んぼとお米と水」についてですね。稲作と水は切り離せないわけですね。水が無ければ田んぼではないということになります。
  「収穫率」という概念があるのですが、これは一粒蒔くと、一粒の米から何粒の米が収穫できるかを示す数値です。麦でも同じです。「一粒の麦から何粒の麦が収穫できるか」とを示す数値を「収穫率」としています。江戸時代の平均的な10アール当たり収量は1石3斗(193キロ)と言われています。「収穫率は30倍」ということになります。
  それに対して小麦。1500年から1820年のフランスの小麦の「収穫率は6.3倍」。それからイギリスの小麦、時代は違いますけれども、「7倍」と言われておりまして、いかにお米の土地面積あたり生産性が高いかということを示しているわけですね。ヨーロッパ農業の規模が日本より大きいのは、土地生産力が低く規模が大きくないと生活できなかったためであり、逆に日本農業の土地生産力の高さが、零細な規模でも生活することを可能にしたということになります。歴史的に中世からずっとほとんど1町(1ヘクタール)という規模で、日本の農業の規模はあまり変わらない。むしろその前の4町というような、そういう名主経営の頃の規模の中世以前の規模の方が大きかったのです。その頃は大家族制だし、いろんな条件が異なりますから、生産力も全然劣るわけですから、4町というように、中世以前の方がむしろ農業の規模は大きかったというような実態でございます。
中世以降というのはほとんど、戦後の農地改革を経ても尚1ヘクタールという。そういう構造の下に、それで家族を養うことができた。時には「水呑み百姓」という言葉がありますから、水だけを飲んで凌がなければいけない時があったことは否定できませんけれども、相対的にいうと非常に生産力の高い土地として、水田というものがあるということ。
  世界を見渡せば、東アジア、アジア全体が零細規模ですね。それはみな「水田」ということで説明されるところかなと思います。
  つぎに、田んぼが一体わが国にどれだけの面積あったのかを、ずっと遡ってみておきたいと思います。
  現在の239万ヘクタールの水田は、一体どこまで遡ったらその面積なのだろうかと、ずんずん遡ってみますと、どうも統計的には大体明治36年のデータで281万ヘクタールなんですね。それ以前は農地の面積しかないもんですから、そういうことですから、239万ヘクタールという水田は「明治の初期段階ぐらいかな」ということになるかと思います。
  1600年頃の水田面積は、歴史書を紐解かなければいけない、統計書ではおさえられないんですね。1600年と言えば「関が原の戦い」の年なんですが、その時の農地面積が205万ヘクタール。ですから当然のことながら水田はそれよりも小さいということになるわけです。
  それから100年ごとに見て行きますと、1700年(元禄13年)282万ヘクタール。残念ながらすべて農地面積なのですけれども、100年後の1800年もほとんど変わらずで282万ヘクタールです。そして1872年(明治5年)に321万ヘクタールとなっています。
  ですから、水田ということになると、どうもやはり明治初期に現在の239万ヘクタールというものがあったのではないかと思います。ただ、生産調整をやってきましたので、定着分という果樹が植わって、あるいは改廃で元は田んぼだったんだけど、そういう状態にあるものがその他に30万ヘクタールありますから、270万ヘクタールであるとも言えます。
  それから「単位当たり収量」ですね。これも調べていて大変興味深かったのですが、「100キロ増やすのに何年掛かっているのか」という見方をしますと、1886年(明治19年)から1935年(昭和10年)の50年間で、200キロから300キロに100キロ増える。1936年の300キロから1965年の400キロになるのに30年間掛かる。そして1966年(昭和41年)から1983年の18年間で400キロから500キロになっています。そしてその後11年間ぐらい500キロ前後で変動して、安定的に500キロ以上になるのが、1994年(平成6年)から今日までの15年間ということになります。いままで全国平均で最高は544キロというのが最高水準です。ですからなかなか500キロの後半までは進めないでいる。ですから今までの50年掛かった。30年掛かった。18年掛かった。というテンポで行くと、もう600キロまでいかないかもしれないわけですね。というのは、「量より質」に変わってきましたから、「もう収量を求めない」という方向が非常に強くなっているわけですから、必ずしも600キロには永久に行かないかもわからないわけですね。まあそんなような生産力の推移をたどっている。
  ただ、今回調べ切れなかったのは、「玄米食から白米食に切り替わったのはいつか」なのです。多分、江戸時代ではないかと思っています。
  宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩の中に、米の消費量が出てくるんですね。「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と出てくるんですね。「1日に玄米4合を食べていた」宮沢賢治の時代はそういうことだったんですね。今は「玄米食ブーム」で、玄米を食べる人がまた少し増えているようですけれども。白米食になったのは多分江戸時代ではないかなと思っています。
  つぎに「収穫量」についてみています。現在が855万トンということでいきますと、同水準の収穫量をどこまで遡れば見出せるのかとみて行きますと、1916年(大正5年)852万トンあたりがもっとも現在に近い水準かということになります。ただ、戦後1945年(昭和20年)に582万トンまで落ち込むんですね。当時「ひもじかった」ですよね。その水準が582万トンで、そこから急速に回復しまして、戦前水準を回復するのが1955年(昭和30年)です。そしてそれから12、3年後の1967年(昭和42年)に1426万トンの最高水準を記録して、そしてそこから「生産調整時代」に入っていったということで、現在855万トンということになっております。
  もう一つ、「田んぼとお米」と言えば「水」が非常に重要な意味をもつことになりますが、6ページに「水」についてふれています。
  1トンの穀物を生産するのに1000トンの水が必要。1000倍ということですね。1キロの牛肉を生産するのに20トンの水が必要ということで、これは20000倍ということになります。もっとも豊富な水を有する日本が世界最大の食料輸入国になっている。しかも、日本の水は再生産が可能な水です。農業にとっての比較優位性というものがあるのですが、再生産可能な水を持っているということは、もちろんこれは世界的に見ても日本農業の優位性ですよね。実態を見てみますと、これも非常にアジア的といいますか、日本的といいますか、農業用水の9割が河川、そして1割がため池、地下水からの取水はわずかに1パーセントということになっているわけですね。ですから雨が降ったら川の水が浄化される。あるいは森林の山が降った水を貯水する機能を持っていてくれる。田んぼも貯水機能を持っています。そうやって一度降った水を有効に使っているわけです。
 水の惑星地球で起こっている水収支のアンバランスが非常に大きな問題なってきておりまして、今世紀は「ウォータークライシスの世紀」だとも言われるわけです。そういう感覚からいくと、例えばアメリカのオガララ帯水層、地下水を利用して農業をやっている農業の場合はどういうことになるのか。
  国連環境計画(UNEP)によりますと、世界最大の地下水の宝庫と言われるアメリカのロッキー山脈の東部に広がるグレート・プレーンズ南部、テキサスなど8つの州にまたがるオガララ帯水層の5分の1が消滅した。アメリカ合衆国の中央平原に埋蔵されるオガララ帯水層、数千年をかけて形成された地下水、「化石水」と言いますが、これが年々3メートル低下し続けている。「これはたまらない」ということで「水利費」の値上げを検討していると言われています。
  そういう水事情があってですね、しかし「水の再生産」というのは、短期に見るか、長期に見るかで違ってきます。地球史的に見ればオガララ帯水層だって再生産の中に入っているという言い方ができないことはないのです。ここで言っている「再生産」というのはもっと短期ですね。要するに雨量があって、そして流れがあって、ヨーロッパの人が「日本中滝だらけだ」と言ったような激しい流れの川があってという中で、水田、稲作というものが成立しているということです。
3.田んぼとお米
−面積、生産量、水−
8.水田農業の課題
―田んぼの未来、お米の未来―
9.おわりに
−滋賀県地産地消推進協議会になにを期待するか−