百珍本の話
江戸時代の『百珍本』
農学博士:渡辺 信夫

花開いた江戸時代の食文化
 日本の国土を荒廃させた戦国時代が終わり江戸時代300年の「平和」は、民衆の立ちなおりと佐渡の金・生野の銀に新田開発によるコメの増産が経済を豊かにし、厳しい身分制度の確立の下で民衆文化を発展させる。素門静衛『江戸繁盛記』等に見られるように、庶民の暮らしも改善され食文化も花開く。
 天明8年1787年『江戸町中喰物重宝記』には、御そば所として24軒の「そばや」が紹介されている。またしょう油が普及して庶民が自由に使えるようになると料理も発達する。うなぎの蒲焼はその一つである。「かばやきや」「うなぎや」が江戸庶民に珍重されるように
なる。豆腐は、すでに古代から作られていたが一般庶民にまで普及したのは江戸時代である。
そばや
そばや
うなぎや
うなぎや







ベストセラーとなった『百珍本』
 民衆の暮らしと食文化の発展は、ベストセラーとなった『百珍物』と呼ばれる一群の料理書の板行に見ることが出来る。天明2年に板行された『豆腐百珍』は一躍ベストセラーになり、何度も版を重ねた。江戸時代に現代版メニューブックの出版である。『大根百珍』『甘藷百珍』『卵百珍』『鯛百珍』『そば百楽』などである。

『百珍本』との出会い
 私が『百珍本』に興味を持ったのは、学生の頃、日本の食文化誌を読んで知ってからである。当然、版元は江戸だと考え東京に出張すれば神田の古本漁りのついでに何時も『百珍本』を探した。だが店主に聞いても「知ないし見たことも無い」と言う。それでも、古本屋を訪ねると何時も頭の片隅に『百珍本』があった。それが、1990年2月5日、奈良・吉野山のみやげ物屋で『豆腐百珍』の現代訳を発見した。その時は、初恋の恋人に30年ぶりにめぐり合った心地であった。そして版元を見て驚いた。京都・山科区の株式会社大曜とある。早速、訪ねて社長にお話を伺い、店にある「百珍本」の全てを買い求めた。その後、大学の講義でも講演でも遣わせて頂いている。そこで手元にある『百珍本』を紹介しよう。