日本の伝統食を考えよう

■伝承の場づくり

 そういうことを基本にしまして、それでは日常的にどういうふうなことが問題になり、そしてまたどうしていったらいいのかというお話をさせていただきたいと思います。
 なんといいましても「伝統食を受け継ぎ」というのは大変なことで、だから、そのため「伝統食とは何か」ということを知って、それを受け継いでいくということの意味、重要性も大事にしてもらわんといいかんのですけれども、なかなかそこができませんで、放っておきましたらおそらくこれで途絶えてしまうのではないですかね。その上に立って、新しい食文化をどうしてつくるのかということが大変大きな問題になっております。
 今いろんな点で食生活が問題になっております。子ども達の食べ方も問題がありますけれども、親が子どもにどのように食を受け継いで発展させているか、役割を果たしているかといったらこれが非常にお寒い状況です。
 私どもは非常に不十分ながら、大学や、高校、中学校へも話をさせていただきに行くのです。まず、びっくりしますのは、料理できる自信を持っている親がなかなか少ないということですね。
 最近の例ですが、大阪府下の高校へ参りました時、大阪の郷土食、たこ焼きとお好み焼き以外に、何か知っているものがあったら挙げてと言っても、誰も何も言わない。結局、翌日の料理講習の時に、「船場汁」と「バッテラ」をお教えすることになったのです。
 大阪では、御料さんが旦那さんの代わりに蓄財といいまして、金を始末し貯めまして貢献していたのです。「船場汁」というのは、船場で丁稚さんにできるだけ金を使わないで、健康に働いてもらうために食べさせる食なのですね。月に二回ぐらい、炊くか、焼いた鯖の頭と骨をとっておいて、翌日のお昼にもう一回おつゆ、汁物にいたしまして、そこに大根の短冊切りを入れましてもう一品作るのです。それが有名な「船場汁」ですね。昔の鯖は新しくて、よく骨からもダシが出ましたが、今の鯖ではこの調理法では味が出ません。
 大阪は商人の都で、昔から家訓で大阪の始末、算用、才覚というのです。始末とは倹約。算用は、算盤勘定が高いということです。だから始末して、胸算用をよく算盤勘定いたしまして、そして次に才覚というのがあるのです。だからケチではなくてね、始末し、そして上手に仕入れもし、金は使うけれども、それをしかもおいしく食べるという才覚があったという誇りを持って、今日に至っているということになるのです。
 さて、「船場汁」と「バッテラ」することになりまして、翌日の料理講習をしますのに、仕掛け、準備を頼んで、分量、水の具合から、お米、そこに入れる調味料やらみな書いて帰りまして、翌日行きましたらご飯は炊いてありました。しかしそれにはお酢も砂糖も醤油もみな入れて一緒に炊き込んであるわけです。家庭科の教師がついておられてもそういうことになるんです。その方悪く言いません。三〇歳代の若い先生ですよ。熱心な先生で、我々を呼んでくださる先生なのですけどね。その上に、バッテラをつくる四角のハコがないので、「もしなかったら、簀巻きの簾をそろえといて欲しい」と言いましたら、それもないからキッチンタオルを買ってあったのです。
 そういう点でね、家でも伝承と言うものが全然できてない。学校でもできない。伝承の場がないのですよね。非常に今そういう点で問題が多いなと思っております。
 しかしまわりの者がいろいろ知恵を働かしまして、子ども達に伝承できるような場づくりをしているおもしろい取り組みのもやってはいるのです。山口では、漁協の方たちと親と子ども達で、年に一回魚料理のコンテストをやっています。そこではコンテストの審査員は子どもで、出品は大人がするのです。子どもは迎合しなくても味がわかるのです。子どもの舌は馬鹿にできないと言っておりました。「お箸が上手に使えないから骨なし魚にしたらいい」とかいろいろ言いますけれども、子どもは困難なことに挑戦するのが好きなのです。親の方がだめにしていっている点が多いなと思います。

■学校給食の問題

 学校給食は、日本の食の文化、伝統食の影を薄めさせてしまったと言っても過言ではないと思うぐらいなのです。
 日本の学校給食は世界に例のない異様な献立がまかり通っているのが現状です。近年かなりこれでも改善されましたが、主食が甘いパン、パンが菓子パンになるところが多いのです。おかずが煮物とか和え物、パンが主食でおかずがうどんといった、そういう献立がまかり通っております。さらに、米飯を含む全部の献立に牛乳がついてきます。献立によってはチラシ寿司と牛乳ではなくて、すまし汁とか、お茶にして欲しいという運動もあるのですが、なかなかなりません。お茶を出すことを教育委員会が許さないのです。さすがに静岡とか岩手ではお茶を出しておりますが、めずらしいほうなのです。
 教育の場で、給食というのはそれを食べねばならないのですよね。無国籍の典型のような給食を食べさせられて、その取り合わせと味を覚えて慣らされてしまう。これが大変問題だと思います。私も栄養士の端くれですから、自分の子どもが給食を受ける時に、まず栄養学的にどうかとは思いましたけれども、一番気になりましたのが、6年ないし12年でその子が何を好きになってしまうかということでした。
 米離れにつながったパン給食は、戦後の食糧不足の中、アメリカのガリオア資金の小麦の無償配給を受けて始まったものなのです。以後アメリカの余剰農産物の捌け口として、また食文化を欧米化する意図もあって、20年間以上もパンだけを主食として、おふくろの味とか郷土食を寄せ付けなかったのです。実は終戦直後、アメリカは「はじめて学校給食をするのだったら、ご飯と味噌汁で始めたい」ということを言っているのですが、それを断ったのは日本の政府側です。
 学校給食が教育の一環として今日まで来ており、しかもそこでは「先割れスプーン」など、食文化の面から許されないことがたくさんある。今また、効率主義の最たるものとしまして学校給食の民間委託がずいぶん増えてきています。
 学校給食で習慣として米に親しむということが、日本の食文化の継承と健全な発展に向けての第一歩であると私どもの会では考えています。さらにどんな料理でも米さえ食べれば良いというものではない。伝統食を基調とした日本型の学校給食が本来あるべき姿ではないだろうかと考えております。
 今米を消費拡大に導かねばならないということで、米を粉にしてパンにして学校給食にだすということが始まっています。
 しかし、わざわざ米を粉にしてパンにしなくても、やっぱり米は粒食。粒食がゆえに健康にも良いし、独特の風味があり、おかずとの相性も良いわけです。栄養学者たちは、初めご飯にして食べるから味噌汁だとか、焼き魚、いろんなものと合うけど、米粉パンにしてしまったらおかずが変わってくると反対していたのです。しかし、この頃は、第一人者と言われる栄養学者なんかも、「初めはいろいろ考えていたけれども、今となってはどんな形であってもどんどん食べられるようにしなければいけないのでそこは言わないようにしている」ということを正直に書いておられる方もありますね。私は、日本の食の文化というものを受け継ぎ発展させていくという意味を考えますと、日本の学校給食をどのようにしていくかというのは、非常に大きな影響力を持っているところだと考えております。

■伝統食列車

 もう一つは伝統食列車のことです。1980年代の終わりごろ、アメリカが中心になりまして、日本に減反政策をすすめながら、自国の食糧の売り込みに「アメリカントレイン」という13両列車を仕立てて、二ヶ月ぐらい売り込みに上陸してきたのです。その時、日本の教育委員会は非常に「アメリカントレイン」の普及に力を入れまして、学校からも見学に行くようにとか、保育所からも乗るようにとか、いろいろ優遇しました。
 最終の列車の停泊地が大阪でしたから、私も乗ってみました。私は農業わからないのですよ。大阪商人の子で鍬一つ持ったことがないのです。しかし、なんともいえない気持ちになりますよね。減反政策の中、東北なんかにいきましたら、減反の数値がきたら、男の年寄りがものを言わなくなるというんですね。本当に重苦しい空気が流れて、どうしようもない中へ、「おいしいアメリカ」「ゆかいなアメリカ」ということをうたい文句にして売り込みに来たわけです。
 「何とか対抗したい」と思いまして手段方法を考えまた。そして、約三年準備をいたしまして「伝統食列車第1号」を走らすことができたわけなのです。
 自分としましては「賭け」でうまくいくかどうかわかりませんでしたけれど、蓋を開けましたらたくさんの方が賛同してくださいまして、大体47から50人ぐらい乗ってもらわなかったら赤字になるのです。止むに止まれぬ気持ちだけでアメリカさんに対抗したいと思って始めましたのですが、「もし赤字になったら、私が穴埋めせんとしょうがない」と思って、なけなしの虎の子を握り締めまして、蓋を開けましたら本当に約80人乗ってくださいましてね、それが最初だったのです。
 今回は11月の中頃に、三重とか愛知に参りますけど、「80人も来てくれても受け入れできるかどうか」となかなか盛り上がらなかったのですが、半月ぐらい前になりますと、「花火も上げようか」とか、労働組合がカラーのきれいなはがきを作ったり、特に今回森を中心に走るのですが、いわゆる森林文化、森の独特の料理があるのです、全然知りませんでしたけれど。なかなか出す機会のないそんな料理をおばあちゃん達に出していただくなど、盛り上がってまいりまして何とかいけそうでよろこんでおります。
 そのような「伝統食列車」の取り組みで思いますのは、「もう伝統食なんて若い人たちには受け継がれない」とかいうふうに決めつけてしまわない方が良いということです。目に触れ、味わうという機会を私たちがつくり繋いでいったら、今反対の方向へ進めていこうとしている人たちに負けるものではないと思っております。

■食の安全と伝統食

 食の歴史の中では、食べるということは自然が持っている食物の毒に対して、命がけで覚悟して食べていくという冒険の連続だったと思います。昔の人たちは、何か変わったもの、新しいものが手に入った時には、時間をかけ、みんなの口に入れても心配ないような、その土地の食べ方の文化にして定着させてきた。その上に安全というものがありました。
 しかし、現在の日本は、衛生管理とか、食の安全のシステムなどは、世界的に見てもトップクラスにありながら問題をいっぱい起こしているわけなのです。そこで何が足りないかと言いましたら、基本原則、食に対する考え方、姿勢というものだと思うのです。
 安全性につきましては、単に食だけでなく、くらし全般、文化とか、農業とかと共存しながら、必要な時間も掛け解決し、安全な文化というものをつくり出してきたのではないかと思ったりしています。ですから、今くらし全体の原理原則といいますか、くらし方の考えもわきまえもなくなってきている中で、安全面だけを個々に追求していくということとは、根本的に違ってきているのではないかなと思っております。
 日本の食の文化は「目には青葉 山ホトトギス ほととぎす」この一言で言いえているのではないかと、昔の学者が言いました。食の基本をわきまえた良さ、おいしさ、たのしさというところが、もうはるか離れたものになっておりますけれども、それを復活させ、呼び戻し、軌道に乗せていくことは決して無理ではない。力をあわせばできることだと思っております。またそれをやらねば、本当に日本の誇るべき食べ方というものがだめになってしまうのではないかなと思っています。私どもも不十分ではありますけれども、皆さんごと一緒に一層頑張って生きたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。
 どうも失礼いたしました。

3.伝統食を受け継ぎ、新しい食文化の創造をめざすために