「大きいことはいいことだ」からの脱却

 今、食の面で何が変わってきたのか。特に戦後、日本は「大きいことはいいことだ」大量生産、大量消費、大量廃棄の時代であったわけですね。それは食の面でも、大量生産システムになって農薬、添加物依存の体質を当然生んできました。広域に調達するということは農薬、添加物依存になり、環境負荷、環境汚染の元凶にもなってきたわけです。
 それは産地偽造の温床を生むのは当然なのですね。あるところが「美味しい」となったら産地偽造していくというのが構造的につくられてしまう。その地域で採れる量なんて限りがあるのにそれ以上の売れ方をする。そういう中で食品が同じような規格になっていく。それが結局は個性をなくす。この個性をなくすことが豊かさを奪い、おいしさをなくしてしまう。
 今イチゴ、トマト、キュウリはいつでも食べられる。最初は「い

つでも食べられるのは良いじゃないか」という意見もありましたが、今考えると、あれは結局季節外れのおいしくないものを食べて、その魅力をなくしてしまう歩みでもあったわけですよね。
 製品の規格化が小ロット生産を締め出して、地域の小さな生産をつぶしてしまう。学校給食でも、学校の隣の畑で野菜を作っているのに、食べている野菜は中国から来ているとか、とんでもないひどい話になってきているわけです。
 結局は地域の生産基盤をつぶし、大生産地が優遇されそれに依存してしまう。それはとりもなおさず海外の安価な農産物の流入を許してしまう。それが輸出国にとって良かったかといえば、タイのエビの生産でも、安すぎる価格で無理な生産をする。作っている側もその自然を壊しながらやるわけですね。結局輸出国も輸入国も不幸が起こっているわけですね。これは昔の帝国主義時代の植民地主義的なプランテーション方式と全く同じなのですね。
 「大きいことはいいことだ」ということではなくて、むしろ「小さいことはいいことなのだ」。食というのは、本来は小さな流通圏で自給型なのだということを、もう一回見直す必要があるのではないかということです。(つづく)
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